忘れない決心、見ようとする決心

 

 私たちは差別や格差がある社会に生きている。慈悲ではなく、公正のため義務だから、富の分配も社会保障も必要であるが、現実には富の分配を本音で望む人は少なく、富の集中の阻止もできていない。新自由主義の時代は、「正しいこと」、人権、生存が保障されないことに理由は要らないとされる時代である。自分は「あの」ようでなくて、「あそこ」にいなくて良かったと思い、居心地が悪いと感じつつもそうした社会を、トリックダウンの幻想にとりつかれ、時には屁理屈を探して、民主制のもとで「選んで」いる。「あの」ような、と呪われた人たちの声や叫びや行動は暴力的に抹消され、解釈されている。

 本書はテキストデータでも提供されている。それぞれの活動で発言や執筆を積極的に続ける東京大学出身の男性3人の対談、稲場さんのゲイ運動やエイズ活動などの書き物と立岩さんの医療批判や障がい者運動等の豊富な注釈から成り立っている。例えば注51「ないにこしたことはない、か・1」は、予防が含む差別性から、障がい者がそれぞれどう感じるかに鈍感で、差別感の起源を作る社会を恥じつつ、時に何気なく、誰もがその社会を前提に生きている現実の狭間で悩む、古くて未解決の課題を提示している。

 誰にもこの社会の一員として内なる観念や正当性の問い直しは必要であるが、突き上げの矛先が自分に向く(178頁)保護された立場の専門職の倫理を自分以外に向けることはできるのか。差別につながる制度の境界を拡大しても、「選択」しない、できない側を自己責任として見捨てるのではなく選ばなかった側への差別を禁止すべきであるが、その制度を利用した人や加担者が異議を表明しないことへの批判は、その人たちが置かれた状況を考えれば正しいとは言い切れず、運動の幅を狭めてしまう。多種多様な高みから説教されなくても本人は苦しい。受け止め、存在を肯定し、聴き、関わる処からでなければ始まらないと思う。稲場さんの岡真理さんへの論(132頁)は、運動への全体的な効果についての批判は当たっているが、報道や文書によって物事が過剰に、または不足して伝わり、悪いことも人の生活と可分ではなく、当事者が均一ではなくニーズも結果も不平等であり、複数の文脈がある運動の複雑性への配慮の必要性も真実である。みな同じことができるわけではなく、同じことを勧められない。解釈の暴力に陥りがちな安易な同一化や代弁でなく、抽象的な人権の普遍性より深い、団結や共感で結ばれた同類連帯意識を再認識した運動論は繊細になるはずである。

 あえて二つの標準枠にはめる必要はないかもしれないが、例えば、獲得する運動と過激に言うべき運動、稲場さんのG8の運動での「成果型」と「直接行動型」(73頁、114頁))、改良・市民活動と革命、「現実派・生活派」と「差別糾弾派」(『私的所有論』)の「両方が要る」(81頁〜)としながら、どちらかというと、筋を忘れず獲得する、革命を見失わない修正という前者をやや重視した立場が述べられている。あるべき姿の実現よりも今取れるものを取るには居心地の悪さを伴う。運動に携わる人のうち、アドボカシーはそれができる人がすればよい。日本では、運動によって政策がどれほど動くのか楽観できず、機会が少ないからこそ成果型の運動はその過程で切捨てを伴いがちである。成果型の運動は現場のなりふり構わぬ怒りや社会から認識されないニーズや償いの要求に、距離を置くことがあっても忘れない姿勢が必要であり、直接行動型運動は、感情が語られることは大切であるが、矛先の間違い、言い過ぎの弊害を時に振り返るともっと社会を変える力になると思う。

 ただし、「運動が世界のすべて」ではないはずで、誰にも生活現場があり、そこに秘密も感情も複雑さもあるのだが、時に運動はそれを見えなくしてしまう。山田さんは、腕のよさをまず求められる現場を逃げ口にせず運動を語りつつ、現在の制度にも専門者にも限界があるが、現場から離れないこと、生活感覚(208頁)を重視する。「ゴチャゴチャしたままがいいんだろうね。すっきりさせないほうがいいのかもしれない」(214頁)と。現場ではどっちの極端に行っても楽だが、それは違う(249頁)と。その関連で、体制対このような二つの運動論の対比の枠組みの外で、女性たちが無償で調整、事実上の社会保障役割を担わされ、その要求は後回しにされ、自分以外の利害や価値(きれいごと)のために妊娠・出産が当然のように利用される生活現実が無視されてきた。例えば人口調整や生殖技術は「あの」ような人を増やさず不幸を減らすと宣伝して女性の心身に負担を強いるが、成果型の運動も直接行動型も、女性の犠牲や苦しみを暗黙の前提とし、現実の女性の意思や負担という差別糾弾に都合が悪い部分にないふりをされてきた歴史を忘れてはならない。

 『流儀』は回答を与えるのではなく、その先を考えるための道標であり、運動のこの先を考えたい人にお勧めしたい。